ブライアン・オールディスのSF長編小説『地球の長い午後』の読書感想・レビュー記事です。
自転を止めた遠い未来の地球。太陽光が降り注ぐ大地の片面は一本の巨木に覆われ、奇怪な進化を遂げた動く植物たちが繁栄を極め、人類は樹上で暮らす小さな存在になっていた……。
基本情報
タイトル | 地球の長い午後 (原題:Hothouse) (米版:The Long Afternoon of Earth) |
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著者 | ブライアン・W・オールディス |
初出 | 1962年 |
ジャンル | SF |
キーワード | 遠未来、終末もの、地球、月、自然、生物、ジャングル、進化、生存競争、知性 |
作品概要
『地球の長い午後』は、イギリスの作家ブライアン・オールディスの長編小説。初出は1962年。
ジャンルはSF。地球、月、太陽を絡めた壮大なスケールのお話。
主な舞台は、自転が停止した遠未来の地球。太陽に面した側はジャングルと奇怪な進化を遂げた植物が跋扈する昼の世界、反対側は永遠の夜の世界になっている。
動物は大多数が絶滅。人類は文明を失い、矮小になり、知能は大きく退化、細々と樹上生活を送っている。
そんな世界で、ある群れの女長と少年が冒険や旅をする物語を通して、地球の黄昏が描かれる。
すっごく壮大なお話なので要約が難しいですね。
あらすじ
遠い未来の地球。
月の引力により地球の自転は停止した。太陽光が常に降り注ぐ片面は昼の世界、もう片面は夜の世界となっていた。
昼の世界は植物たちの王国と化した。
その世界は、太陽光を巡る争いに勝利した一本の巨大なベンガル菩提樹が支配していた。広く高く生い茂る深緑の密林は、地上の全てを覆っている。
争いに敗れた植物たちは、かつて繁栄を極めた動物たちの形態を模倣しつつ、奇怪な進化を遂げた。植物たちの熾烈な生存競争は、日が暮れることのない世界でひたすら繰り返される。
動物たちは、繁茂する植物たちに圧されて生存圏を大きく狭めていた。
人類は、巨大なジャングルの中間層の一角で細々と樹上生活を送っている。彼らは、過酷な環境を生き残るために原始的本能を強くした一方、太古に備えていた知性の大部分を失った。
十数人を擁する群れの女長リリヨーは、自らの肉体の衰えと、それに伴う指導力の低下を感じていた。
群れを守るため、リリヨーと年長者たちは”天にのぼる”ことを決意する。彼らは、ヒツボと呼ばれる火を操る植物の莢で作った棺に自ら入り、群れの若者たちに別れを告げるのであった。
群れの新たな女長となった若きトイは、自分より一つ年下の少年グレンに手を焼いていた。
そんなある日、群れは狩りの獲物に連れられるかたちで、森と海が交わる危険な境界領域に迷い込んでしまう。
未知の危険生物たちが繰り広げる戦いをなんとかやり過ごそうとする彼ら。その最中、グレンの頭に自我と知性を持った菌類アミガサダケが寄生する。
もともと好奇心が強く反抗的だったグレンは、アミガサダケから送り込まれる欲望と知恵の影響を受けて、トイに強く反抗する。
対立は長の座を巡る権力闘争へと発展するが、グレンは敗れて群れを追放されてしまうのだった…。
基本的には、群れを追放されたグレン(+寄生しているアミガサダケ)の旅が主軸の物語。
とてつもない進化を遂げた”動く植物”たちが生存競争を繰り広げるジャングルで、身長数十cm程度の小さく進化した人類であるグレンが、アミガサダケの知性を借りてサバイバルしながら新天地を目指す感じ。
ただ、このアミガサダケというのが、厄介というかたちの悪いやつで……。
序盤はジャングル世界での凄まじい生存競争の様が描かれています。濃密!
ヒツボの莢に入って”天にのぼる”とは?アミガサダケに寄生されて群れを追放されたグレンの運命は?
傾向・雰囲気
おもしろさ (知性、好奇心) | |
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たのしさ (娯楽、直感) | |
コミカル (陽気、軽快) | |
シリアス (陰鬱、厳重) | |
よみやすさ (文体、構成) | |
よみごたえ (長さ、濃さ) |
自転が停止して環境が激変した遠未来の地球と生態系が、壮大かつ精細に描かれていて面白い&楽しい!SF成分たっぷり!
作風や雰囲気は、淡々粛々といった感じ。コミカルさはないが、だからといってシリアス寄りに演出されてもいない。メッセージ性も特段強くなく、「自然」や「冷徹」といった風情。
植物に動物を合成、或いは収斂進化させたような架空の”動く植物”たち。その他にもとんでもない進化を遂げた”植物”がたくさん登場して読み応えがあった。濃い!
自分では見ることができないであろう遠い未来の地球はどうなっているのだろう、という想像を掻き立てられました。
”植物”が凄い!跳んで、走って、這って、泳いで、飛んで、果てには地球と月を行き来したり😆
感想・考察
テーマと主人公
各部・章ごとにテーマや主人公が独立している印象が強かった。
本作はもともと5編の短編だったとのこと。
- 1~3章:魔境ジャングルとサバイバル
- 女長リリヨーが主人公
- 緑の世界に圧倒される。次々に現れる奇怪で獰猛な植物たち
- 4~6章:星間植物と月世界
- 地球と月をケーブルで往復するツナワタリ
- 天にのぼったリリヨーたちが出くわす月世界
- 鳥人間への突然変異
- 7~10章:境界世界での冒険と高知能寄生キノコ
- 陸と海の境界世界。ジャングルだけじゃないのだ
- ここからグレン&アミガサダケによる冒険編
- 11~15章:キノコの野望と家畜化した人類
- アミガサダケの本性と支配
- 家畜となった人類ポンポン登場
- 16~19章:漂流と束の間の楽園
- 流されて夕暮れの世界へ、流れ着いた孤島の楽園
- 人類の遺物とスローガン
- アミガサダケの生殖本能は孤島での停滞を許さない
- 20~26章:夜の世界と地球の黄昏
- アシタカに揺られて夜の世界へ
- ソーダル・イーとの出会いと歴史
- 黄昏を迎える地球と新たな世界、解放されたグレンの選択
寄港地のない船
同著者の作品『寄港地のない船』と通じるものがあった。
鬱蒼としたジャングルでのサバイバル、矮小になった人類、進化した生物、終焉に向かう世界。
序盤~中盤にかけて印象的なジャングルは、『寄港地のない船』のような暗く不気味な雰囲気の密林ではなく、灼熱の太陽光が降り注ぎ濃緑の怪物たちが踊り狂う魔境といった感じだった😱
風の谷のナウシカ
本作の魔境ジャングルから『風の谷のナウシカ』の腐海を連想した。
ナウシカの世界でも生物は驚異の進化を遂げていたし、長大な視野と時間規模での自然の循環も描かれていた。
リリヨーやグレンたちのような人間が現れる途上に、ナウシカたちのような人間がいた世界があったのかもしれない。いくつもの文明が勃興しては滅亡し、を繰り返したのだろうか。
盲人の国
「盲人の国では一つ目の人間が王様になる」
上記は、H・G・ウェルズの短編小説『盲人の国』に登場する一節。「片方でも目が見えれば、盲人の国で王様になれる」という視覚の優位性を示す。
第二部の序盤でアミガサダケが、グレンの”種族的記憶(遺伝子に刻まれたデータ)”から大量の情報を引き出すことに成功して歓喜した際に引用される。
しかし、元ネタである『盲人の国』でもいえることだが、「そうは問屋が卸さない」のだ。
アミガサダケには「目(知能)」はあるが、「手足(実働能力)」がない。しかもその知能は全知ではないし、苦痛や恐怖で宿主を間接的に操るだけでは思ったようにならない。これはソーダル・イーにも共通していた。
生物の優れた性質とは「滅びずに生存している」に尽きる。無知もまた能力の一つか。
黒い口
火口で生物を”歌”で呼び寄せて捕獲する「黒い口」と呼ばれる植物。
最初はどういうものなのかイメージを掴めなかったが、牧人たちが木に体を縛り付けて引き込まれないようにする描写で、ギリシャ神話に登場する海の怪物「セイレーン(サイレン)」を連想できた。
植物は、色・形・模様・臭い・蜜など様々な方法で花粉や種の運び手、獲物を呼び寄せる。歌(音・リズム・振動)を用いるものも生まれそうだ。
是非も無し
「なるようになる」という言葉が印象に残った。
宇宙規模の自然の理を前にすると、知性という本能の下部に位置する小システムなどさしたるものではない、と圧倒されてしまう。
アミガサダケは、牧人やポンポンに比べれば遥かに優れた知能をもつが、本能(遺伝子)から自由になれない点は同様だ。快楽と苦痛に突き動かされて、ひたすら種の保存に邁進する機械だ。生物の機序からは逃れられない。
生命活動を続けている自らを客観したときの虚無と絶望は果てない。困ったもんだ。
あるようにあって、なるようになる、是非も無し。と投げ出したくなるけど、どうだかなあ🙄🤔🙁😫😑💀
まとめ
『地球の長い午後』、おもしろかったです!
生物と地球の未来に関するSFな成分とスペクタクルがたっぷり詰まった想像力満点の作品で良かったです。
野性味のある濃厚なSF作品を読みたい時に良いかと思います。