森博嗣のエッセイ本『科学的とはどういう意味か』の読書感想・紹介・レビュー記事です。
「科学とはどんなものなのか(科学と非科学)」「非科学的思考の不利益・危険性(逆に言えば科学的思考による利益)」等について述べられています。
基本情報
- タイトル:科学的とはどういう意味か
- 著者:森博嗣
- 出版社:幻冬舎
- 初版発行年:2011年
- ページ数:197p(紙書籍)
- 価格:760円(Kindle版)
- キーワード:エッセイ、思想、哲学、科学、啓蒙、警鐘
どんな本?
『科学的とはどういう意味か』は、2011年6月に幻冬舎新書から出版された森博嗣のエッセイ。
工学博士であり小説家でもある森先生が考える、「科学とはどんなものなのか(科学と非科学)」「科学的な思考から目を背けることの不利益・危険」等について述べられている。
東日本大震災が発生した2011年の3月末に執筆された本で(あとがきに記された日付は2011年3月31日)、震災関連の報道・防災意識の問題点などについても言及されている。
裏表紙の紹介文
科学―誰もが知る言葉だが、それが何かを明確に答えられる人は少ない。
しばしば「自然の猛威の前人間は無力だ」という。コレは油断への訓誡としては正しい。しかし自然の猛威から生命を守ることは可能だし、それができるのは科学や技術しかない。
また「発展しすぎた科学が環境を破壊して人間は真の幸せを見失った」とも言う。だが環境破壊の原因は科学でなく経済である。
俗説や占い、オカルトなど非科学が横行し、理数離れが進む中、もはや科学は好き嫌いでは語れない。個人レベルの「身を守る力」としての科学的な知識や考え方とは何か―。出典:森博嗣 | 科学的とはどういう意味か | 裏表紙 | 幻冬舎
紹介文は仰々しいというか刺々しいですが、中身はもっと丸くまろやかな風味でした。
本の目次
- まえがき
- 第1章:何故、科学から逃げようとするのか
- 第2章:科学的とはどういう方法か
- 第3章:科学的であるにはどうすれば良いのか
- 第4章:科学とともにあるという認識の大切さ
- あとがき
ざっくり方向性
おもしろさ (知的/興味深い) | |
たのしさ (直感/娯楽性) | |
あかるさ (テーマ/雰囲気) | |
よみやすさ (文体/言葉選び) | |
よみごたえ (文量/情報量) |
やや説教臭くもあるのだけど、「科学的な思考のメリット」「非科学のデメリット(メリットにも言及されている)」などが論理的に上手くまとめられていて面白い。
娯楽性は、テーマからしてあまりないと思う。扱っている内容は特別に重苦しくはないだろうが、普段から思考が「非科学的(気持ち/感情の方が大事)」寄りな人にはしんどい表現もわりとあると思われる。
全体的な表現は易しい言葉選びで読みやすい。本文には難しい専門用語がほとんど使われていないので、中学生以上くらいなら問題なく読めるはず。
ページ数は紙媒体で197p、(個人的には)おおよそ2~3時間以内には読み終えることができると思う。
おもしろポイント
面白かった部分をピックアップ!
数字による評価
たとえば、細かくて具体的なところから書けば、数字にもう少し注目し、できることなら記憶に留める、ということなどがまず挙げられる。
数字を記憶するというのは、なにも円周率を精確に覚えろという意味ではない。電話番号や友人の誕生日を記憶しなさいという意味でもない。むしろ、数字というよりも「量」である。だいたいいくつくらいか、を把握していることが大事なのである。-中略-
量を把握するだけで、そういった道理や、他の道理との関連も見えてくる。この「見通し」こそ、科学的であることの価値である。
出典:森博嗣 | 科学的とはどういう意味か | 第4章 数字にもう少し目を留めてみよう | 幻冬舎
これは私的にグサッと刺さる一説。
例えば本記事の「ざっくり方向性」に表示している5点満点☆評価は、科学的な数値ではなく、単なる主観だ。自分の中では相対的な評価でも、他人には分からない・伝わらない。
これを科学的にするには、指標となる数値を用いた「量」で評価するために、例えば「よみごたえ」なら読むのに掛かった時間を「○○.○時間」みたいに書いた方がいくらか客観的になる。
でも、実践しようとすると「私個人の読む速さ」「読み方(環境/デバイス/知らない単語を調べる等)」とかも関わってくるから、落とし所をどのあたりとするか悩ましい。
読書感想記事の場合は、単に「○○だと思いました。」だけだと、良くて「へ~」とか「ふ~ん」程度、悪ければ何の参考にもならない駄文だ。
だから、それ以外の情報も付記するのだけど、多少なりとも参考になる客観的な構成というのは意外と難しい。もっと割り切るか、掘り下げるか(´ε`;)ウーン…
天の邪鬼な〆
天の邪鬼でマイナな作家が書いたものである。だから、本書は大勢の人に受け入れられない内容、そして表現になっているはずだ。僕はいつもこうなのである。
-中略-
本書は、そのとき、3日間、計12時間で執筆したものである。(2011年3月31日)
出典:森博嗣 | 科学的とはどういう意味か | あとがき 197p | 幻冬舎
上記引用は、あとがきの〆の文章(「そのとき=震災直後」)。
最後に「執筆に掛かった時間」を書いちゃうあたりが森先生らしいな、なんて思って笑ってしまった(ノ∀`)アチャー
これは、本書の内容を受け入れられない人からの批判や、本書の肝である科学的思考の意味を理解できなかった人に利用されるのを分かって書いてるような気もしてしまう(誠実でもあるんだろうけど)。天の邪鬼めえ!
「3日間、計12時間で執筆」というのは、「キーボードを叩いて考えた事を出力する作業+修正/調整」に掛かった時間という意味であって、「執筆」の前には「構想」があるだろうし、「構想」の土台となる「知識」なども必要だ。
要するに、1冊の本を書き上げる全行程を計12時間でこなしたわけではない(だよね?)。
第3章でも取り上げられている「スコットランドの羊」のジョークが言い当て妙になるんじゃないかな。
天文学者、物理学者、そして数学者がスコットランドを走る列車に乗っている。天文学者は窓の外を眺め、一頭の黒い羊が牧場に立っているのを見て、「なんと奇妙な。スコットランドの羊はみんな黒いのか」と言った。すると物理学者はそれに答えて「だから君たち天文学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドには黒い羊が少なくとも一頭いる』だろう」と言う。しかし最後に数学者は「だから君たち物理学者はいいかげんだと馬鹿にされるんだ。正しくは『スコットランドに少なくとも一頭、少なくとも片側が黒く見える羊がいる』だ」と言った。
「12時間で書かれたもので内容が薄い」という批判的意見や、「12時間で書いたなんて凄い!」という賛辞があるとするなら、どちらも本書で言及されている科学的思考とはズレていることになる。思考停止!
こういうのを最後の最後にもってくるあたりが”森節”というか”森ワールド”って感じで、森博嗣のエッセイの醍醐味だと思う。
まとめ
脳みその栄養補給に定期的に読んでいる”考える系”の本として読んでみましたが、なかなか面白かったです。
本書で述べられている非科学がもたらす不利益の考え方については、知能・環境などの影響があまり考慮されていないので、科学的思考の浸透や優勢は先が長いのかなと思います。しかし、科学的になることによる利益には「なるほど!」と思える部分が多々ありました。
普段は言葉だけの非科学で通している部分に、少し科学的な思考による認識を取り入れてみることで、利益になる事柄は意外とあるのではないかと思います。
わかり易い表現と少なめのページ数でサクッと読めるので、頭の体操をしたいときにおすすめの1冊です。