アーサー・C・クラークの長編SF小説『幼年期の終わり』(光文社古典新訳文庫版)の読書感想・紹介・レビュー記事です。
未熟な時期を終えて新たな一歩を踏み出そうとする地球と人類。その進化と結末を壮大なスケールで描いた名作SF小説です。
基本情報
タイトル | 幼年期の終わり |
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原題 | Childhood’s End |
著者 | アーサー・C・クラーク |
訳者 | 池田真紀子 |
初出 | 1953年 |
出版社 | 光文社 |
価格 | 770円(Kindle版) |
ページ数 | 452(文庫版) |
キーワード | SF、宇宙、思想、哲学、ミステリー |
どんな本?
『幼年期の終わり』は、イギリスのSF作家、アーサー・C・クラークの長編SF小説。初版がアメリカで1953年に出版、改稿版が1989年に発表された。
ジャンルはSF。キーワードは「宇宙、異星人、ファーストコンタクト、タイムトラベル、終末もの」など。
【冒頭のあらすじ】
21世紀初頭、人類は新宇宙時代を大きく前進させる有人火星探査ミッションへ踏み出そうとしていた。しかし、出発を目前に控えた矢先、世界各地の都市上空に巨大な宇宙船が現れる。
宇宙船団を駆る異星人「オーバーロード」は、圧倒的な科学力と知力を背景に人類の統治を開始するのだった…。
前触れもなく地球の都市上空に姿を表した宇宙人!
人類は、彼らの圧倒的な科学力と知性を前にひれ伏し、統治される立場になります。しかし、その優れた統治により、人類の科学・技術・文化は大きく発展していきます。その行く末に待つものは…。
2007年に光文社から出版された池田真紀子訳の改稿版を読みました。
目次
- 第1部:地球とオーヴァーロードたち
- 第2部:黄金期
- 第3部:最後の世代
目次のタイトルが物語ることは意外と多いかも。
第3部の「最後の世代」を目にした時は、不吉な予感がしました。
ざっくり方向性
おもしろさ (知的/興味深い) | |
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たのしさ (直感/娯楽性) | |
あかるさ (テーマ/雰囲気) | |
よみやすさ (文体/構成) | |
よみごたえ (文量/情報量) |
おもしろさ
SF考証においては古めかしさが目立つ。作中の21世紀やその先の時代においても、インターネット・携帯電話・電子メールなどは登場しない。
作品が創作された1950年代には、20世紀の終わりから21世紀初頭に掛けての技術やライフスタイルの発展が、ミクロ方向に大きく進むとは考えにくかったのかもしれない。これはこれで味があって良い(≧∇≦)b
SF的な面白さとしては、空想科学そのものの面白さというより、人類がそういったものに出会うとどうなるのか、どうなっていくのかという部分に重きが置かれている。
とは言え、地球外の知的生命体との初めての出会い「ファーストコンタクト」、人類の進化による変化「メタモルフォーゼ」、超高速航法による「タイムトラベル」、時間を超越して過去・未来を認識できるなど、SF要素がてんこ盛りなところも見逃せない!
たのしさ
作品冒頭のつかみが良い。
この刹那、歴史は息をひそめ、現在は自らを過去から切り離した。ちょうど氷山が母なる氷河を離れ、ひとり誇らかに海へと漕ぎ出すように。人類が成し遂げてきたすべてが意味を放棄した。そしてカリーアの頭のなかでは、たった一つの思いがこだまのように繰り返し響いていた──。
人類はもはや孤独ではない。出典:アーサー・C・クラーク 著|幼年期の終わり 第1部|池田真紀子 訳|光文社|
人類は冷戦の終結や宇宙開発によって自信と希望を深めていた。そんな彼らの前に突然現れた超科学をもつオーバーロード。
人間たちは、自分たちを遥かに凌駕した力の前に圧倒され、これまで重ねてきた努力が些末なものだったことを、意味がなかったことを一目で悟ってしまう。「井の中の蛙」的なこの切なさよ。
SFとしては古典作品なので、初版が出版された1950年代以降の歴史と絡めて想像しながら読むと楽しい!
あかるさ
全体の雰囲気は、特に明るくもなければ暗くもないといった印象。
楽観・悲観・懐疑・敵対など、人類各々の視点で描かれたりもするのだけど、どこかに偏っていたりはしていない。
よみやすさ
語り手は一貫して三人称。
構成としては全体的に読みやすいものだと思われる。新版の翻訳は、現代的(2007年刊行)な表現で読みやすい方だと思われる。難しい言葉やSF知識を必要とする部分も少ない。
確たる主人公を設けず、人間ドラマが控えな点も読みやすくて良かった。
少し突っ込んだ内容
哲学&ミステリー
SF作品には「SF(空想科学)それ自体が主体になっているもの」と「SF要素から展開する物語や謎が主体になっているもの」が存在するが、本作は後者。
地球にやってきた異星人「オーバーロード」は、人類なんて簡単に滅ぼせてしまえそうな力を持っているのだけど、暴力を用いず平和的かつ人道的。
基本的な統治方法は、国連の事務総長を通じて指示を出すだけ。自らは姿を表さずに音声だけでやりとりする。
よほどの事がない限り、超科学を用いた実力行使はしない。大抵の問題は、優れた知性と巨大宇宙船(素材・動力など)の科学的威容でもって解決する。侵略でもあり教導でもある。
その結果、国家・人種・宗教の垣根を超えて全人類が統一され、戦争・差別・貧困が概ね根絶される。
人類は、オーバーロードの統治がもたらす平和・幸福・発展があまりにも素晴らしくて恭順してしまう。その代償は、主権と自律の喪失、或いは放棄。
そこから来る、「このような生き方で良いのか?」という哲学的テーマと、なぜか人類に好意的な「オーバーロードの正体と目的」に纏わるミステリーが展開していく。
激しいバトルや息の詰まるようなサスペンスはあまりありません。すんごい知性と科学力を持った宇宙人と邂逅した人類の行方が粛々と描かれます。
主題について
主題は「地球と人類の進化と終末」が、おおよそのところ。発展・進化によって「得るもの」「失うもの」が描かれている。
また、「平和」もメッセージに含まれると思われる。執筆当時1950年代の世界情勢は、第二次世界大戦の尾を引く朝鮮戦争、加熱する冷戦。資本主義vs社会主義の2大イデオロギーによる世界的な対立構造が蔓延る。
そういった現実に対する解として、社会には【全人類が統一された世界政府】、個人には個体の制約を超える【統合体】という、「みんな一つにな~れ」のようなキーワードが出てきたりする。
感想(ネタバレ注意)
種明かしと残る謎
SF作品の面白さである「驚き」や「納得感」をもたらしてくれる”種明かし”はちゃんと存在していながら、最後まで曖昧で肩透かしな”謎”もあって、そのバランスが良かった。
オーバーロードについてはある程度の説明がなされた、だけど、結局オーバーマインドについては謎だらけ。でも悪くない。ある程度は合点がいきつつも、謎が残ることで想像の余地を楽しめる。
”クラークの三法則”にある「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」は、オーバーマインドの存在にぴったり。
感情の移入先
作品の序盤・中盤は、当然のように人類側に偏った視点で読んでいたけれど、終盤で謎が明らかになるにつれて、オーバーロードの方に意識が傾いた。
人類から見ると上部構造にいるオーバーロードも、実は全宇宙規模で見れば人類と大して変わらない下部構造の存在。解説にあった「中間管理職」の表現がしっくりきた。
そして、オーバーロードを手先とするオーバーマインドですらも、あるいは下部構造の存在なのかもしれない。上には上がいるわけで、オーバーソウルとかオーバーゴッドとかオーバースペースとか…。
統合体
人類の意識・精神が統合されれて個人の境界が曖昧になる「統合体」というワードは、『攻殻機動隊』を連想した。原作漫画における「草薙素子と人形使いの融合」、TVアニメ版(第2シリーズ)での「上部構造への移行」など。
各個体が持っている、特に知性面での能力を融合し、統一することでの高効率化。人の頭の中、脳内で駆け巡る思考は、言葉・ジェスチャー・創作で出力されるどのような表現にも勝る。
複雑で大きな生き物はいずれ、単純で小さい生き物の集合体に還元されるのかも。
支配構造の現実化
オーバーマインドの存在を「見当や推測はできても、把握も制御もできない超越的存在」とすると、そのような存在は2020年代の世界でも現実になっていると思えた。
幼年期の終わり | 現実 |
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オーバーマインド | 先端技術・巨大企業 |
オーバーロード | ↑の製造・管理・流通・販売 |
人類(最後の世代) | ↑に適応できた者 |
人類(滅びし世代) | その他 |
結末は、選ばれしものにはユートピア、そうでないものにはディストピア。自分なら進化の速さに食らいついて適応できるだろうか、と考えて黄昏る。
自然の法則から考えれば当たり前のこと。全ての人に無条件で与えられることを前提とする”人権”のような理念のほうが幻想なのかもしれない。でも、その幻想を時として必要としてしまうあたりが悩ましい。
まとめ
本書の影響を受けたであろう後発SF作品をいくつか読んだり見たりしていたので、”驚き”はあまり強くありませんでしたが、しみじみと味わい深く面白かったです。
SFの古典作品・名作を読むと、「あの後発作品はこの影響を受けたのかな?」、みたいな繋がりが見えてくるのも楽しいです。
名作と言われるに充分な面白さを持っていると思うので、ちょっとでも興味を惹かれる部分があったなら読んで損のないおすすめのSF小説だと思います。
新旧版について
旧版 (福島正実訳:1964年)
旧版は1964年、福島正実訳(文庫版は1979年)。早川書房から刊行。
第一部は初版のまま。翻訳時期的にも表現は時代掛っているかも。
新版(創元社:2017年)
新版は2017年、沼沢洽治訳。創元社から。
第一部は初版と同じ元のまま。翻訳を改めた新装版となっている。2021年1月時点だと電子書籍化されていないもよう。
改稿版(光文社:2007年)
改稿版は2007年、池田真紀子訳。光文社から。
第一部が1989年の改稿版になっている。第1部が時代の流れに沿って書き直されている。
試し読みできる旧版と改稿版を試してみて、合う方を選ぶといいかもしれません。