

ニコラス・ケイジ主演のスリラー映画『マッド・ダディ(原題:Mom and Dad)』を鑑賞しての感想(ネタバレ含む)。
巷での評価は芳しくないようだけど、ブラック・コメディなスリラー作品として楽しんでみることができた。
- 2017年 / 85分 /アメリカ
- スリラー、バイオレンス、ブラック・コメディ、ニコラス・ケイジ、セルマ・ブレア
それはブレント(ニコラス・ケイジ)にとっていつもと変わらない朝だった。いつもと変わらない日常。
若い頃に思い描いていたのとは全く違う冴えない日常だけど、結婚して十数年、2人の子供にも恵まれ「幸せなんだ、コレでいいんだ」と自分に言い聞かせて暮らしている。いつものように会社へ行きダラダラと仕事をこなしていたが、その日のテレビはいつもと違っていた。親が実の子供を殺害したという陰惨なニュースがひっきりなしに報じられているのだ。
国中がパニック状態に陥る中、愛する子どもたちの身を案じるブレントは、仕事を早退して帰宅。良かった、子供たちは無事だ。しかし、愛しい我が子の顔を見た瞬間、彼の中で何かがはじけ飛ぶ――。この子たちを殺さなければ!!ブレントは正体不明の殺意に突き動かされてゆく!
部分的な狂気がおもしろい


ある日突然、国中の親たちが我が子に対してのみ強い殺意をもつ、という設定がおもしろかった。
狂気に陥る親たちだが、すべての理性が失われるわけではない。我が子以外の人に対しては割と普通に応対できるし、夫婦は我が子を殺すために意思疎通を図り連携して(殺人のための)共同作業をすることも可能なのだ。
我が子を殺すための行為に関連する部分のみ頭がおかしくなっているという不思議設定。
ニコラス・ケイジの娘は、親たちによる学校襲撃を逃れて、同級生の男子と一緒に家に帰ってきた
👩🏻メイドのおばさん「おかえりなさい。はやいですね、学校はどうしたんです?」
(メイドのおばさんは自分の娘を殺し、その血で汚れた床をモップ掛けしている。二コの娘と同級生にはシンクの陰で見えていない)
👩娘「今日は早退したの」
👩🏻メイド「あら…、お昼を作ります。彼氏さんですか?旦那様はうちに入れるなって言ってましたよ、いいんですか?」
👩娘「大丈夫、すぐ出るから」
👩🏻メイド「汚れが取れないわ」
(血で真っ赤になったモップに気づく二人)
👩娘「キャーッ!!帰ってちょうだい、今すぐよ!」
👩🏻メイド「掃除をしてからよ」
👩娘「掃除はいいから早く出てって!」
👩🏻メイド「今日はみんなおかしい。どうしたのかしら?」
メイドのおばさんは、自分の娘を意味不明な殺意の元で殺してしまうが、メイドとしての仕事はきちんと果たそうとするのだ。
作品前半までのイメージだと”成人していない我が子”が殺意の対象のように思えた。しかし、父親で中年男性であるニコラス・ケイジも、年老いた両親(じいちゃん・ばあちゃん)に”息子”として襲われる。
自分の子どもたちを殺そうと躍起になっている妻が、夫を殺そうとしている義理の両親を止めようとする矛盾も滑稽だった。
殺し方も、銃でバンバン撃って「ハイ、終了」の効率重視ではなく、血湧き肉躍る感じの非効率なスプラッター路線で殺ろうとしていて珍妙🤣
意味不明をどう解釈するか


「ある日突然、親たちが我が子に対してのみ強い殺意をもつ」という意味不明な設定をどう解釈するか。
作中でわかりやすい説明はされないし、オチも投げっぱなしで原因は謎のまま。プライムビデオのカスタマーレビューでは、「意味不明でつまらない」「父ちゃん、母ちゃんが必死に我が子を殺そうとする姿をみて応援したくなった」など、評価ががっつり分かれていて興味深かった。
僕の解釈は「”親”を評価する際のステレオタイプの対極を描くブラック・コメディ」だ。
ワールドワイドに売り出すことを想定した映画などでステレオタイプに描かれる親の姿は大別して2種類。「善い親」と「悪い親」だ。
「善い親」は我が子を深く愛していて、自己犠牲や苦労を厭わない。対して、「悪い親」は我が子に対する愛情がなく、身体的・精神的な虐待や育児放棄を行う極端な悪人として描かれる。どちらも偏りが大きい。
今作に登場する狂気に陥った親たちは「我が子を愛しているが、殺したい」だ。
愛情 | 親としての働き | |
善い親 | 深い愛情 | 自己犠牲、苦労を厭わない |
悪い親 | 愛情に欠ける | 虐待、育児放棄 |
『マッド・ダディ』の親たち | 深い愛情 | 殺意 |
”当たり前”とされる価値観や道徳とズレたこと・逆のことをするのがコメディ。ネガティブなユーモアを絡めるとブラック・コメディになる。
善きにせよ悪しきにせよ幅を利かせている価値観や道徳を笑い飛ばそうとすると、本作のような「我が子を愛しているが、殺したい」という「善い親」でも「悪い親」でもない奇妙な設定になるのかなと思った。
母「あなたたちを世界中の何よりも愛してる」
父「でもパパたちは――、時々だけど無性にお前たちを――!!!」
で終わるラストが印象的だった。
他にも色々な説が考察されていた。
- わがままな子供たちに対する親たちのヒステリー説
- 単に不道徳なバイオレンスを描いている説
- リアルに存在する言動の不一致の非道い親説
解釈に余地のあるお話は色々想像できて楽しい🤔
邦題の違和感
邦題は『マッド・ダディ』。原題は『Mom and Dad』。
ダディ(父親)だけがマッド(気が狂う)になるわけではなく、母親たちもちゃんと気が狂っている作品なので、邦題には違和感があった。
ネームバリューのあるニコラス・ケイジを前面に出して売るためかもしれないが、しっくりこない感じを拭えなかった。
本作はそうでもないだろうけど、邦題で損している作品は結構あるように思える。いかにもって感じで、ある種の指向を示唆しているのに、実際に観てみたらイメージと全然違っていた、なんて作品が特にB級映画に多い印象。
記事中画像の出典:(C)2017 Mom & Dad Productions, LLC