小説家「森博嗣」のエッセイ本『なにものにもこだわらない』の読書感想・紹介記事です。
時として思考や選択の視野を狭くする「固執」にもなってしまう「拘り」。バランスの良い「ほどほどなこだわり」について考えることで、自由な楽しさを見つけるヒントになりそうな本です。
基本情報
- タイトル:なにものにもこだわらない
- サブタイトル:Aiming for freedom to everything
- 著者:森博嗣
- 出版社:PHP研究所
- 初版発行年:2019年
- ページ数:240(単行本)/174(Kindle版:推定)
- 価格:1540円(単行本)/815円(Kindle版)
- ジャンル:エッセイ、思想、人生論
どんな本?
小説家「森博嗣」が、「こだわる(拘る)」という行為・選択について綴ったエッセイ本です。
「拘り」が「固執」になって思考や視野が狭くなっていないかに着目し、ほどよい”拘り方”みたいなものについて考えられていると思います。
おもしろさ (知的/興味深い) | |
たのしさ (直感/娯楽性) | |
かたさ (テーマ/雰囲気) | |
よみやすさ (文体/言葉選び) | |
ながさ (文量/情報量) |
タイトルの「なにものにもこだわらない」を「こだわらないことにこだわっている」と解釈できること(矛盾すること)については、森先生が作中で以下のように説明しています。
「なにものにも拘らない」を貫き通せば、このルールに拘っていることになるから、それを避けるために、正確には「なにものにも拘らないようにしたい」くらいの緩さを含む必要があるだろう。言い換えると、「ときどきは拘ることがある」という余地を残しておかないと、自己矛盾になって、方針を貫けない。
…中略…
「だいたい、こうありたい」という方向性を維持していく。そんな姿勢というか生き方が、僕が望んでいることだ。
出典:森博嗣 |なにものにもこだわらない|16,17ページ|PHP研究所
拘ることの完全否定ではないようです。
お気に入りの一説
「なるほどなあ」と唸らされた一説。
「拘り」の本質は省エネ
言葉に拘る人は、名称に拘る。ラベルに拘る。一度レッテルを貼れば、それですべてが整理された、目標がはっきりした、と安堵する。
…中略…
それは、言葉にしてしまえば、その対象のぼんやりとしたわかりにくさから解放されるからだ。名前がない状態では、いちいち状況や特徴や経緯など、すべてを説明しなければならないし、ずっと観察し、ずっと評価し続けなければならない。それには頭を使う。自身のエネルギィ消費の観点から望ましくない。だから、ずばり言葉で決めてしまいたい。そうすれば、あとは、その言葉すべてを代表することになる。言葉を繰り返し、その言葉を実現するだけである。
出典:森博嗣 |なにものにもこだわらない|36,37ページ|PHP研究所
何か行動を起こす際に最も体力や気力を使うのは、実行前の「準備」の段階なんですよね。
決心した後の実行は、決めたとおりに必死に取り組むだけだから、思考の負荷が軽く、ストレスも意外と小さい。準備中の色々な心配事から解放されるのも大きいです。
”拘り”という”テンプレ”を作って、それに沿って行動すれば、2回目以降は頭使わなくてよくなりますから。
その”拘り”に固執してしまうと、新しい選択肢を見逃してしまうこともある、ということでしょう。
ただ、この考え方についても、拘りの否定ではなくて、社会生活の中で現実的にはある程度は拘らなければならない事もあると補足されています。
抽象的に言語化された思考が森エッセイの醍醐味(≧∇≦)b
拘りすぎずに拘る…、実践難易度は高いような気がします。つい楽な方に流されちゃう(ノ∀`)アチャー
刺さる!一説
自分自身に思い当たる節があって心にグサッと刺さる一説。
用意された楽しさに支配される
支配されている状態は、省エネで考えなくて良くて、もし良質な支配であれば、ある程度の安心も得られる。身を任せるような状態といえる。
…中略…
用意された商品としての楽しさとは、たとえば「塗り絵」のようなものだ。指定の色を塗っていけば、整った絵が出来上がる。絵を自分で描いた気分が一時的に味わえるかもしれない。でも、作品が完成しても、何も残らない。それはあなたの作品ではない。
出典:森博嗣 |なにものにもこだわらない|133,134ページ|PHP研究所
上記引用は、「拘りは省エネ」と対になる「自由にはエネルギーが必要」という考えに基づき、「支配による安心」と「自由による楽しさ」について述べられています。
本質的には自分のものでない経験・成果・作品に酔っている部分って結構身に覚えがあるので、これはチクチク痛いです 😥
ただ、この考え方についても、人間はボディのスペックなどの関係で完全には(思考/安全的な意味で)自由になれないですから、どうしても一部分は何かに支配されることが、現実的には必要だと思います。
これも程度の問題でしょう。思考停止で支配されすぎないように、自由のためのエネルギーを確保できるように努めねば、と考えさせられました。
この森エッセイ本にも”鋭い理屈”が含まれています。
ためになると思いますが、苦い部分もあるので、何かしら「心の口直し/オブラート」になるアイテムを用意しておくといいかもしれません。
私は「コーヒー牛乳+チョコレート」で対応しました。
まとめ
私は、森博嗣の推理小説シリーズが好きで一通り読んでいて、エッセイも好きなんですけど、今回の『なにものにもこだわらない』は、”まあまあ”って感じでした。
本書は全10章で構成されているのですが、第7~10章は「他の森エッセイでも読んだような?」という、他作品と似たような印象を受けました。
全く同じではないと思いますが、全体の後半1/3くらいは新鮮味が薄かったです。個人的には著者の思考方法に面白みを見い出しているので、それの実践・応用が中心の後半部分はあまり興味がわきませんでした。
でも、それ以外の部分は、森先生のエッセイについ期待してしまう”理屈っぽさ”みたいのがあって面白かったです。
ある言葉や思考を独特の切り口で抽象化して考えてみるという点については、以前記事を投稿した『孤独の価値』にも類似すると思います。頭の体操/刺激を求めてるならこちらのほうが、合ってるかもしれません。